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ⅰ思いがけない一通の手紙

冊子・止揚第105号「負けいくさにかける(89)福井達雨著」より転載 《その1》
《重い知能障害をもつ人たちの中で》 (2008/12/25クリスマス礼拝)
その1『思いがけない一通の手紙』

※この記事は止揚学園のご理解をいただいて、冊子・止揚からの転載です。
※文中に保母さん(保育士)や看護婦さん(看護師)という表現がございますが、筆者の思いを尊重して原文のままに表記します。



その1『思いがけない一通の手紙』

 皆さん、クリスマスおめでとうございます。
実は私、八月頃から身体の調子が悪くなりまして、体調が悪くなると、オシツコの色が茶色くなってくるんです。おかしいなあと気にしてはいたんですけど、九月に入ると、オシッコが茶褐色になって、そして、白い沈殿物が出てくるようになりました。それでも講演が続いていたので、通院もせず、あちこちに出かけていたんです。

 新潟の敬和学固という高校で講演をした時、宿舎が温泉宿でした。夜、温泉に入りながら、少し身体が暖まって楽になったと、その時は思ったんですが、でもしばらくすると、やっぱり具合が良くないんです。翌日、止揚学園に帰ってまいりまして、慌てて嘱託医の寺井先生のところに診察に行きましたら、尿の中に血液がたくさん混じっているし、勝胱炎だろうということでした。抗生物質を飲んだら、その次の日は尿の状態が良くなったんですけども、また次の日から悪くなりまして、寺井先生が「もうこれは、自分の所ではだめだ」とおっしゃいました。

 そして、隣の近江八幡市にある病院に紹介状を書くから、そこで診察を受けなさいということで行きました。 そうしましたら、すぐに手術をしなければいけないとおっしゃるんですね。手術と聞いたとたんに私はドキドキして、心が不安定になってしまいました。内視鏡で勝胱の検査をすることになり「どうぞここに」と言われて、椅子に座ったら「ちょっと脚をくくらせてください」と。

 その前に「服を全部脱いでください」とおっしゃるんですね。何をするんだろうと思っていたら、「パンツも全部脱いでください」て言われるんです。そしてそのまま座らされると、目の前にカーテンがサッと垂れて、くくられた脚がバッと上がりまして、非常に恥ずかしい思いをいたしました。その恥ずかしさで気が動転してしまいまして、「こういう風に悪いんですよ」といろんなことをお医者さんが説明してくださるんですけども、もう私の耳にはその言葉が入らないほどでした。

 人間というのは、とても弱いんですね。手術と聞いただけで動転して、恥ずかしさの中で、もう何も分からなくなってしまう。 そんなことで落ち込んでいた時の事でした。
私の所に一通の手紙が舞い込みました。現金書留封筒でした。平本さんと書いてありまして、覚えのない人やなあと、しばらくはちょっと思い出せませんでしたが、中にあった手紙を読んで、「あっ、そうか」と思いました。



 平本さんとは、小さな時に、止揚学園で共に生活したことがある男の子で、そのお母さんからの手紙でした。 止揚学園が生まれた時は、法人化されていなくて、自由契約施設で、まだ法的には何の措置もされていませんでした。 ある日、中日新聞に止揚学園が開園したということが載りまして、名古屋から十数人の、どうしても他の施設が引き受けてくれない障害の重い子どもたちが、一挙に入園したんです。 大小便垂れ流し、手づかみ食べ、よだれを垂らし、歩けない子どももいる。そのような大変な状態の子どもたちが一挙に入ってまいりました。

 当時、職員もほとんどいなくて、私と他の二、三人しかいませんでした。その三人ほどで必死になって、子どもたちの心と身体の成長と回復に努めました。しばらくしてオムツがはずれ、箸でご飯が食べられるようになり、歩けるようになっていきました。こうして機能的な面は少しずつですが回復し、もう、どこの施設でも受け入れてくれる子どもの状態になりました。
 ちょうどその時に、名古屋に"Aコロニー"が開設されました。止揚学園は自由契約施設でしたから、未来の不安もあったと思うんですけども、名古屋から来ていた親たちが、秘密裏に会合を開いて、止揚学園をやめるという話し合いをしました。"Aコロニー"に入れてもらおうというわけです。

 私はその事を知らなかったんですけども、その中の一人のお母さん、山田さんとおっしやいますが、「そんな裏切りをしてはいけない、こうして子どもがここまで成長できたのは、福井先生のおかげやないか。わたしはそういうことはできない」といって、親の人たちの事を知らせてくださいました。
 その事が私の耳に入ったことを知った他の親たちは、突然止揚学園にやってまいりまして、荷物をまとめ、子どもを連れて、挨拶もしないでサッと退園して行きました。一挙に十数人の子どもたちが止揚学園からいなくなったんです。私は止揚学園はこれで潰れたと思いました。

 しかし、それから僅かして、止揚学園は国の法律の中での認可施設(社会福祉法人)になったんです。そのおかげで、止揚学園は潰れませんでした。神の恵みだと思っています。 《この項続く》
by bouen | 2009-05-18 20:15 | 止揚学園の人々


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