河は眠らない

 一昨日(11/18)は東京で本年度第二回のNSDI-PT委員会が開催されました。 しばらく休憩していたNSDI-PTもようやくに動き出したのですが、その子細は別の記事にします。 今日は翌日の顛末です。 前夜に新橋と赤羽で些か飲み過ぎたから早寝熟睡(なにやら矛盾した言いようですが)したせいで、早朝に目覚めたのである。 腹は空いているがホテルの朝食までには時間もあるし、思案の挙げ句に宿を引き払って最寄り駅に向かったところ、JR駅の「紅葉のきれいな銀山平」ポスターが見に留まったのである。




 紅葉の見頃は十月中旬とあるから、既に紅葉も枯れ葉になっているだろうとは思ったが、銀山平へゆくには"奥只見シルバーライン"という惹句に心惹かれたのである。 もう十年以上前に郡山から新潟への独り旅をしたとき、只見線に乗ろうかと思ったものの、新潟での約束時間にとても間に合わないことから、磐越西線を選んだという記憶が蘇ったのである。  磐越西線も佳かったが、当時あきらめた只見線に、この際乗ろうと思ったのである。 《念のために。 郡山-新潟間のJR最速移動ルートは大宮経由の新幹線利用ですが、この時も夕刻までは予定がないことから会津若松経由の磐越西線を利用したのです。》

 ポスターの惹句はこう伝えている。
新潟県「奥只見銀山平」
明らかにはじめての地だという感覚。海外のような開放感さえあるが、紛れもなく日本だ。 奥只見湖の西、銀山平は越後駒ヶ岳を背に黄金色に輝き秘境の雰囲気を増幅させる。 誰かに教えたい気もするが、秘密にもしておきたい。そんな光景との出会いだった。


 ポスターに表示する最寄り駅は上越新幹線「浦佐」駅である。 だから、早速に大宮駅に向かったのである。 大宮駅の構内で腹ごなしの軽食をとって、「とき」の乗客となったのが07:35のことである。 上越国境の長いトンネルを越えて、09:00ちょうど、越後浦佐駅に降り立ったら、かの有名な「トンネルを抜けると、そこは雪国だった。」というフレーズそのままだった。 平坦地に雪はないけれど、空は重く曇り、風は冷たく、浦佐川越しに駅前から眺める山々はすでに雪をいただいて白く鈍く光っている。 

 閑散として手持ちぶさたげな駅員さんに只見線への乗り換え案内を尋ねると、怪訝な顔をしながら、13:00過ぎまでありませんと言う。 伺えば、只見線は日に三往復しか運行されていないと言う。 上越新幹線浦佐駅から会津若松へ抜ける客など滅多にいないだろうから当然と言えば当然のことであろう。 さて、どうする、あきらめるか、バスにするか、タクシーかと考えたが、切り替えの早いだけが茫猿の取り柄である。 駅員さんにレンタカー屋を教えて貰い、駅から少し先のレンタカー屋へ向かったのである。

 レンタカー屋では、こんな会話を交わした。 「どちらへ行かれます?」 「銀山平へ」 「紅葉は終わったし何もありませんよ。 道は除雪してあるから多分大丈夫ですが、この空模様では、雪降りという可能性も!」 「せっかく遠路岐阜から来たのだから、行けるところまで行きます。」

 全くの思いつき旅だから、予習無し、地図無し(大宮駅も朝早くて開いている書店がない)、レンタカー屋さんでいただいた小さな観光パンフのコピーだけを頼りに出発したのが10:00くらいだったか。  レンタカーの先客がチューニングしたままのカーラジオから流れてくるバタヤンの「大利根月夜」に励まされて、先ずは上越線小出駅付近の「奥只見インフォメーションセンター」へ向かって、情報を仕入れることとするが、センターの職員さん達は何やら無愛想な感じだから、棚にある幾つかのパンフレットだけを入手して、ひたすら銀山平へ向かうのである。

 実は、ここで大きな失敗を一つしたのである。 センターに隣接して道の駅・深雪の里があったが何も買わなかったのである。 ビールはダメだが、お茶、お焼き、岩魚塩焼き、団子などを売っていたから、何かの食料を入手しておくべきだったのである。 オフシーズンの山のなかに飲食店など無かろうが、途中で何か手にはいるだろうと考えたのが甘かった。 この失敗が尾を引いてこの日の茫猿は、朝食↓、昼食↓、夕食↓と、こと飯に関しては惨憺たる有り様となったのである。

 小出で国道17号を分岐し国道352号・折立温泉付近から「奥只見シルバーライン」に入ったのだが、このシルバーラインが凄かった。 今は無料化されたシルバーライン・ゲートを過ぎて間もなく越後駒ヶ岳の勇姿を間近に眺める。
 

 奥只見シルバーラインは、奥只見ダム建設の資材運搬道路として掘削された道である。 まさに掘削された道であり、全長約22kmのうち18kmが隧道という道路である。 57/11に完成し、61/07に奥只見ダムが完成した後はダムや発電所管理道として利用されるほか、尾瀬沼への最短ルートとして利用されている。(冬季は閉鎖)

 浦佐駅付近の標高が約200m、奥只見ダムサイト付近は約1000mであるが、この標高差の多くをトンネルのなかで昇るのである。 しかも結構急なカーブも多く、元来が資材運搬道路だから岩肌にコンクリートを吹き付けただけという荒削りな道路である。 二輪禁止、歩くヒトなどなかろうが路側帯もないから歩行者も禁止である。

 トンネルを抜けて銀山平に出ると、そこは奥只見湖の湖畔である。 店舗や遊覧船ターミナルは雪囲いの冬支度を終えて、ヒト気無くしずまりかえっている。 所々に雪の残る道路をさらに奥の銀山温泉へ向かうと、ここも冬季は総て閉鎖されているなかで、三脚を構えている人影をみつけた。

 近寄って聞けばバードウオッチングとのこと。 車が多摩ナンバーだったから、関越道経由はるばると野鳥を探しにみえたらしい。 先ほどナントカカントカという鳥を見たと教えられたものの、聞いたこともない名前だから憶えられなかったが、時にはイヌワシを見ることができますとも言っていた。 風の音以外なにも聞こえない銀山温泉付近である。 写真に見える山は先ほどの駒ヶ岳を逆方向から見る。
 

 沢に架かる橋から駒ヶ岳を望んだ景色は、JR駅の「ポスター」そのままの構図だった。 やせ我慢なしに、綾錦の世界も素晴らしいだろうが、観光客はおろか里人すらひとりとて見えず、聞こえてくるのは風の音と沢の水音のみというこの上ない静寂、看板などの人工物が見当たらず、只々モノトーンの世界も凄味すら感じさせるものである。 燗酒でもあれば只管打座するに、こんなふにさわしい世界はまたとなかろうと思わされる。
 

 墨絵の世界の渓流写真を撮った橋を渡ったたもとに「開高健」の石碑があった。「河は眠らない」とある。
 
 開高健はここに逗留したときに、奥只見が好きになり「奥只見の魚を育てる会」というのを組織して、自然保護や魚資源保護を提唱したそうである。 その開高健を偲んで地元漁業組合が建立したと碑文には記されている。 「銀山湖畔の、水は水の味がし、木は木であり、雨は雨であった。」(開高健)とある。 石碑のもとにはパイプを離さない愛煙家だった開高健に手向けたのであろう、封を切っただけの煙草が二箱供えられていた。 それも今やレアモノの「ゴールデンバットとシンセイ」である。
 

 曇り空はまた一段と低くなってきたし風も冷たいから、奥只見ダムサイトをちらっとだけ見て只見線の始発小出駅に戻るのだが、駅の時刻表を見ると二便目の会津若松行きは13:17発である。
 

 それでは走行写真を撮ろうと、さらに魚沼の北東方福島県境に近い入広瀬駅方向へと車を走らせる。 待つことしばし、やってきた列車を撮り、さらにまた列車を追い越して柿ノ木駅、大白川駅などから何枚かを撮影する。 二両編成の車中の客は数名と見えたが、乗客達もこの冬枯れのなか物好きなヒトもいるもんだと見てたことだろう。
 

 猫が一匹歩いていただけの入広瀬駅
 

 魚沼地内の街道沿いで、駐車している車も多いし、看板には手打ちそば魚沼匠の会とも書いてあるから、空きっ腹を抱えて暖簾をくぐり、お店の勧める「ヘギソバ」を食したのだが大外れだった。ヘギソバと謳うにしては色にフノリのほのかな緑がなく、水切りも悪く喉越しはもたもたする。 しかも三時近くまで飲まず食わずだったから、止せばいいのに一半を頼んだときたものだ。

 救われたのは、揚げたての野菜キノコ天麩羅が水準点だったことである。 ソバは四苦八苦しながら完食しました。 口に合わないと言って残すのは麺食いの名折れですから。 だから蕎麦屋の店名も写真も無し。 お店の裏庭から銘酒の名にもなっている越後三山の一つ八海山が美しく見えます。 蕎麦を探して十日町や小千谷へ向かうほどの気力体力を無くして浦佐駅に戻ったら、駅前で角さんが「ヨオッ」と迎えてくれた。
 

 これで、駆け足魚沼・只見線の旅は終わりである。 残りは鄙からの発信定番の蓋シリーズ。 最初は浦佐駅前で、旧魚沼郡大和町の蓋、絵柄は駒ヶ岳と西瓜か?
   
 次いで、小出の蓋、絵柄は八海山?と特産錦鯉か。
   
 奥只見湖畔、銀山温泉の蓋。ダム堰堤と紅葉と竜胆の花か?。
   

 ところで、この二日の間、悲惨食ばかりではない。 18日夜に虎ノ門三丁目・緑山でいただいた小田原の鰯もシロ烏賊もヒネ沢庵も美味しかった。 相席のMuさんに「茫猿さんは親爺と変わらない歳」などと言われながら、それでも地図情報をツールに拓けるであろう鑑定評価の将来を語り合っていたから、尚更に美味しかった。 緑山の瓶出し焼酎(名前は控えていない)も佳い呑み心地、酔い心地です。

 その日の昼食は八重洲・東京一番街にこの秋オープンした「東麻布万歴龍呼堂・喫茶去」のサバ味噌煮定食も絶品だった。 〆鯖でも十分いただけるだろう鯖を、やや甘口の合わせ味噌で煮上げた味は生まれて初めてのものだったし、野菜の炊き合わせ、漬け物も水準点以上、なかでも蓮の実と若布の味噌汁なんてものも緑寿にして初物だった。 当然にお値段もしっかりしているが、店のシツラエも品佳く、納得のコストパフォーマンスである。 (鯖味噌煮定食1,250円)
  
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by bouen | 2009-11-20 08:15 | 只管打座の日々


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