日本辺境論&鬼哭啾啾

 40年近くも慣れ親しんだ岐阜市内の事務所を、鄙へ移して二週間が過ぎた。 書棚の整理も終わり、机のなかも幾つかの書類や文具が落ち着くべきところへ落ち着いたので、ようように仕事が捗る雰囲気が出来上がってきた。 昨日は鄙事務所第一号の成果物を完成させたところである。 仕事をしながら参照文献や事務用品を入れ替えたり置き換えたりするものだから、はかどらないことおびただしいが、次の仕事からは順調に進んでゆくだろう。

 さて、鑑定業界に提案したいビジネスモデル関連の記事はほぼ完成しているが、未だ推敲が足りないと思えるし、少しばかり時期尚早とも思えるから、今しばらくは寝かしておくこととする。 今日はBlog的に最近読み終えた本2冊について書いてみる。 その前にNET BOOKのことだが、少しずつチューニングを進めている。 今朝はスクリーンセーバーにジオラマのスライドビューを設定した。 いいえ、スクリーンセーバーはどちらでもよいので、スライドビューにジオラマ写真を設定して、あちらこちらで自慢気に見せたいだけなのである。 スライドビューの一部は末尾に掲載していますから、お時間があれば御覧あれ。




 読書と云えば、いつの頃からだろうか、記憶力の減退を感じるようになった。 目にかかる負担もあって一冊の本を通しで読み切ることは少ないから、時間をおいて時には二、三日空けて読み進めている。 すると前に読んだ部分の記憶がつながらないのである。 暫く前の頁に戻り1頁2頁読み進めてゆくと、何処かで印象に残している文章に出会うと"嗚呼"ここは先に読んだとようやくに記憶が戻ってくる。 情けない話だが、それが老化というものなのだろう、何処まで読んでも記憶がつながらないよりは、まだましなのだと自らを慰める今日この頃の茫猿である。

日本辺境論」 内田 樹(タツル)著 新潮新書
 最初の数頁は違和感があったが、読んでゆくうちに涙が出てきた。 お涙頂戴本というわけではない、烏滸がましい言い方だが、「茫猿の理解者にようやく出会った。」、そんな感じがしたのである。 印象に残る一節を引用してみる。
 【(政府の情報管理が国民を誤った判断に導いたという通説について) 経験的に言っても、「国民的規模での無知」が政府の管理によって達成されることはない。人々が無知であるのは、自ら進んで情報に耳を塞ぎ、無知のままでいることを欲望する場合だけです。 現に、知ることを真に望む知性は、どのような情報の断片からも、場合によっては、ある種の情報の組織的な隠蔽からも、現実には何が起きているかを推理することができます。】

 全250頁の新書だから一気に読み切れないこともないが、考えさせられながら読み進むからなかなかはかどらない。 目から鱗的記述は次の一節である。 少し深読みという気がしないでもないが、印籠が出ようと何が出ようと「たかが主従3人」、押し包んでしまえば一件落着するし、その方がリアリテイはある。

【(水戸黄門ドラマの最後がなぜ印籠で終結するのかについてふれながら) 「水戸黄門」が日本人視聴者から長く選好されているのは、それがきわめて批評性の高い「日本的システムの下絵」であり、「日本人と権力の関係についての戯画」だからだと私(内田樹)は思っています。 (中略) 視聴者達はこの、自己利益の追求においてはそれなりに合理的なのに、ひとたび外来の権威を前にすると思考停止に陥る人々(ワルモノたち)のうちに、自分たちの似姿を見て、「なるほど私たちの心理はこのように構造化されているのか」と無意識に再認しているのです。】

 この本の158頁以降は付け足しの感がしないでもないが、そのなかに「卒啄の機」(181頁)という言葉が出てくる。 《卒》は正しくは《口に卒》である。 この言葉は今を去ること十二年前に愛媛の渡辺様から頂いた言葉である。 その経緯は"終わりは始まり(1999年5月15日)"に記してある。 懐かしい言葉に再び出会って往事を思い起こした。 その後渡辺様にお会いすることはないが、息災にお過ごしあれと祈念するのである。


 日本という邦はユーラシア大陸の東端に位置する弓状列島である。 現在はともかく、二千年以上、先史時代を含めれば数千年以上にわたって、その先、東は茫々たる大海原という位置にあったわけで、いわば中華の辺境に位置する東夷であった。

 それが倭とか日本という地名にも現れているのである。 日本とは日(太陽)の本(元または下)なので、それは何処からか(西方の中華から)見ての地理的位置に他ならないと著者は云う。 ニホンという呼称がいつの間にやら好まれなくなったというか、呼称されなくなりニッポンという呼び方が普通になった。 このことは、ただ元気がよい読み方だからというのではなく、ニホンは日の元に通じるが、ニッポンはそのような連想をさせないからというのは穿ちすぎだろうか。

鬼哭啾啾」 辛淑玉著 解放出版社
 宅配便で届けられた翌日、読み始めて二時間ほどで一気に読み切った。 途中で止められなくなったのである。 なまじかの読後感などは無用だから、先ずはお読みいただきたいとしか言えない。

 帯の惹句に『国家に翻弄された拉致被害者の気持ちを一番理解できるのは、在日朝鮮人ではないか。』とあるが、この一節だけでは著者の真意が正しく伝わらないであろう。 今の日本のマスコミ論調などからすれば、誤解を招きかねない表現だとも思える。 でも一冊を読み切れば腑に堕ちてくるのである。
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by bouen | 2010-03-09 06:22 | 只管打座の日々


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