残暑お見舞い

 昨日は立秋、今日は長崎原爆忌。伊藤前市長の命を奪う暴力と、地元選出の久間章生・前防衛相による「原爆投下はしようがない」発言があったから、62回目の原爆忌はあらためて暴力や原爆を問い直す機会となった。



 改めて久間発言を陳謝しなければならなかった安倍総理はお気の毒だが、任命責任者とすればやむを得ないし、何よりも対応が素早く適切であったら選挙に影響することも少なく総理自身の統治能力を疑われることも無かったのだから、「それこそ仕方がないか」

 さて、昨日今日と新スキーム調査に勤(いそ)しんでいます。三年ちかく新スキーム試行に深く関わっていましたが、岐阜県内三分科会のうち茫猿が所属する西分科会だけが試行に参加していなかったせいで実際の調査業務には今年度から参加する茫猿は、はじめて実際に新スキーム調査を行いそれを楽しんでいます。一時に十件程度の調査は件数的に程々といいますか、実査と入力を合わせて概ね一日の業務として適当であり、現場で余裕が生じることが多いのでその余暇を楽しんでいます。なお、当然のことですがスタッフの机上調査と後処理能力が優れているから、こんな余裕をかませていられるのであり、その意味ではスタッフに感謝しています。もう一つ、所在地検索を行えばあとはまっしぐらに現場にいざなってくれるカーナビの優れた能力にも助けられています。

 従来の事例調査は地価公示評価作業と並行して調査業務を行うことから、ランダムな現地調査順序と相互交換のために急がされる作業日程に較べればはるかに余裕があるし、こちらの都合に合わせて調査日程を組み立てられる新スキームは現場業務そのものを楽しめます。

今日は不破郡垂井町の北西部で実査後の余裕時間を過ごしました。垂井町岩手は戦国の知将竹中半兵衛の出身地です。彼の後裔が五千石の旗本として暮らした館跡が今も残されています。


垂井町岩手の旗本竹中氏は天保年間に藩校菁莪堂をつくりました。現在は岩手小学校の東南に菁莪記念館が建てられています。


東海道線が電化される前、SL全盛の頃、大垣から関ヶ原に向かう下り線は勾配がきつく速度が出せませんでした。それで陸軍の要請で迂回ルートが設けられ、途中には「新垂井駅」がつくられていました。電化された今はルートは一本化され駅舎も撤去されていますが、プラットフォームだけは残っています。


今も、特急列車や貨物列車がこちらの下り線を利用しています。


大垣市の西端、垂井町境に美濃国分寺旧跡がありますが、その周囲にひまわり畑が作られていました。向日葵の花は太陽に向かって咲くといいますが、実際は一斉に東を向いて咲きます。東方から撮影した向日葵畑です。


逆に西方から撮影した向日葵畑です。全ての花が背中を向けています。
  背のみ見せ 夕陽に抗う(あらがう) 向日葵哉


 蒸し暑い気候と慮外の死を遂げた弟のことを思い寝付けない夜を過ごしています。今月は月初めから夏休みモードなのですし明日から十日間は全休にしようかと思うのですが、野暮なお方も居るもので「8/14:旧盆ど真ん中」に会議が設定されてます。思い切ってアロハシャツで出席しようかと考えてますが、墓参もあるのでそうも参りません。「とかく憂き世はと」云いながら、茫猿はこの夏も浮き世に流され漂っています。旧盆に会議などとボヤイテはみたが、鑑定士は不自由なもので年末年始は地価公示の締切(01/10頃)に追われ、新盆旧盆は地価調査その他関連業務の締切に追われるのである。

 一段落して涼しくなったら、山口に種田山頭火をたずね、小豆島に尾崎放哉をたずねて往きたいと願っています。山口には鑑定士試験同期の旧友が療養していますし、小豆島の隣の島では次男が慣れぬ農作業に勤しんでいます。二人を見舞い山頭火と放哉の跡をたどる旅を憧れています。
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by bouen | 2007-08-09 05:41 | 只管打座の日々


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