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疲弊する精神

 深夜のシマネコのメインコンテンツから『「丸山眞男」をひっぱたきたい』を読み、次いで『続「丸山眞男」を ひっぱたきたい』を読んでから、何も書けなくなっています。筆者・赤木智弘氏に代表される団塊ジュニアの心に潜む闇の深さに何も語ることができなくなっています。



 「結局自己責任ですか」と突きつけられた刃の鋭さに何も言えないのです。赤木氏だけでなく茫猿の身近にいる者からも、「50才になる頃の自分が想像できず、今いる場所さえも先が見えず、ロールモデルが何もない。そんな俺たちが今を面白おかしく生きてゆこうと考えるのが悪いことですか?」と問われても答えようがないのである。赤木氏が本物であるか否かにかかわらず、彼が突きつけている問題は私たち皆が正面から向き合わなければならない社会的課題なのである。

 例えば、加島祥造の『求めない』を読んで癒されていたり、 山折哲雄の早朝座禅・凛とした生活のすすめなどを読んで頷いていたりすれば、およそ別世界にいるのだから、見ようとしないと批判されても致し方ないのである。物に溢れた世界で急かし急かされて生きている人々が加島祥造の世界でやすらぎを得たり、山折哲雄ワールドに立ち止まったりするのは「希望は戦争」と嘯く世代からすれば贅沢なのであり、そんな所詮他人事という高みに居る者から仰々しく説経垂れてほしくはないというのが彼らの当然な心境なのであろう。

 右肩上がりの世界に慣れ親しんできてバブルの余慶にも遭遇し、今や逃げ切った世代と後世代から嫉視と嘲笑の混じり合った目線にさらされる世代の一人としては口を噤むしかなくなります。無財の七施(雑宝蔵経)などと俄道心ぶったりした似非が恥ずかしくなります。 それでも何か一つでも、何か少しでも、今はそれしか思いつかないのですが、他者に何かを求めるのでなく、いま私は何ができるのか、多い少ないなどでなく何ができるか、何をしようとするのかを問い続けてゆきたいと考えます。

無財の七施(雑宝蔵経)
1. 慈眼施(やさしい眼差し)
2. 和顔施(周りの人を穏やにする朗らかな表情)
3. 言辞施(相手を思いやった言葉づかい)
4. 捨身施(自分の体を使った奉仕)
5. 心慮施(思いやりの心)
6. 牀座施(自分の席を他人に譲る)
7. 房舎施(寝るところ、宿を提供する)


 薄っぺらなコメントとともにテレビに垂れ流される騒々しい情報からは何も見えてこないのであり、派遣社員も偽装請負社員もパート・フリーターも、その寒々しい実相は多くを語られることなく過ぎてきたが、彼等が三十代の半ばから四十代に向かおうとする頃から、その存在が否応なしに認識されるようになってきた。 でも、まだまだ他人事なのである。隣り合って同じ業務をこなしながら、彼等は派遣だから、請負だから、パートだからと、非正規就業者を「正社員という身分制度に守られる正規就業者」が差別することにより業績回復を成し遂げた日本企業なのである。

 労働三法の改悪を「雇用形態の多様化」といって歓迎した労働界や左派系野党は、所詮、正規就業者中心のギルドの世界にいただけなのである。より端的に云えば「正規就業者の雇用を守る」という美名のもとに非正規雇用者の使い捨てを黙視したのであろう。でもその結果は正規雇用者自らの足元が崩壊するという結果を招いているのである。

 裁量労働制による長時間労働や、部下が派遣社員やパート化することにより業務のしわ寄せが集まり日常的過重勤務状態に追い込まれている中間管理職が増えている。正規就業者の労働形態すらも破綻に追い込まれつつあるということは、日本の中流階層とか中間階層が壊れ始めているのである。

 私たちはコストダウンの成果としての物価の安さを追い求めた結果、一人一人が消費者としては小さな満足を得たとしても、生産者や(消費生活以外の)市民としてはとても大きな代価を支払うハメに陥っているのだと思われる。まさに合成の誤謬なのであろう。そうした意味からは「求めない。」とか「足るを知る。」という人生観が今一度浮かび上がって来るのだが、それとても一人一人が消費を抑制すれば、それはたちまちに経済活動を縮小再生産に向かわせることとなるのである。

 ここで、茫猿はまた立ちすくんでしまうのである。
赤木智弘氏の次の問いかけに私たちはどう答えるべきなのであろうか。
成功した人や、生活の安定を望む人は、社会が硬直化することを望んでいる。そうした勢力に対抗し、流動性を必須のものとして人類全体で支えていくような社会づくりは本当に可能だろうか?

 既得権を得た人々は、その既得権を失うことをおそれるし手離すことに抵抗する。だから現状維持を望み現状の固定化や硬直化を望むのであり、現状の秩序を破壊しようとする者は彼らの敵となるのである。もしかしたら、中流階級や中間階級がホームレスやフリーターを異端視したり排除したり、時に彼らに敵意を示すのは、「持たざる者は持てる者の敵である。」という鉄則を本能的に知るからなのかもしれない。
by bouen | 2007-11-30 23:52 | 茫猿の吠える日々


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