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視点の長短

 人の一生なんてたかだか百年、地球の歴史は40億年、人類の歴史はホモサピエンスから数えて二十万年、アウストラロピテクス猿人誕生から数えても三百万年、どこに視点を置くかで人生観が変わるし、末期思想も故なしとしないのである。



 改めて、岐阜県の活断層地図を眺めてみれば県内の殆どが活断層で埋め尽くされている。これは日本列島の成り立ちを思えば考えるまでもないことである。日本列島がユーラシアプレートと太平洋プレートとフィリッピンプレートのせめぎ合うところに位置し、国内の全てが褶曲山脈と火山帯とわずかばかりの沖積層や洪積層から成り立っているのであるから、数百年から数千年の単位でみればM7クラスの断層地震や火山爆発が無かったところはないのである。
 地球温暖化についても云えることなのだが、現在の人類の繁栄などというものは、数十億年に及ぶ地球の長い歴史からすれば、とても短く稀にみる平穏な状況に支えられているのである。ひとたび火山活動が盛んになれば、氷河時代が到来すれば、太陽の黒点活動が活発になれば、どの一つが到来しても、今の人類の繁栄など吹っ飛んでしまうであろう。数キロ大の流星の到来で恐竜が滅び去ったように、脆いとてもモロイ均衡の上に私たちはいるのだということを、時々は考えてみる必要があるのだと思う。

 鄙の堂守がこの頃は生活の中心においている「塾・鄙からの発信」にしても、「NSDI・PT(地理空間情報活用推進プロジェクトチーム)」にしても、日頃後輩達に手厳しく意地悪とも見える物言いにしても、今頃の堂守は好かれようとか慕われようとか考えないのである。嫌われてよし、煙たがられてよしなのである。鑑定評価という仕事にしたところで、少なからずの部分がゼロサムなのだから茫猿が引退すれば、それだけの既存とか既得という席が空くのである。後輩達が日頃、席が空くのを念じているとまで厭世的ではないにしても、そうあって何の不思議もないと思えば、今や欲するままに生きるべきだろうと思うのである。 【時々は則を越えてはいないかと、思うことも要るのだろうけれど】

 某月某日、某所で某氏が、怒りまくっていた。鉈でぶった切るような怒りだった。事柄は行政側の不手際というか怠慢というか配慮の無さをなじるものなのだが、実は某氏の怒りの矛先はなじる相手に向かって三割、いいえ一割なので、その矛先の大半は「我関せずと、冷ややかに眺めている後輩達の無関心、無感動、無気力」に向けられていたのだろうと思われる。某氏の云うところの子細を書くわけにはゆかないけれど、彼は自分のためになど些かも言ってはいないのであり、彼が指摘し追求する事柄について後輩達のフォローの無さを慨嘆していたからこそ怒っていたのだと思うのである。

 今を事なかれと過ごすことよりも、皆が力を合わせて一つ一つを着実に進めてゆくことが大事なのであり、明日につながるのであり、その突破口というか矢先で切り結んでいる彼を他人事にして冷ややかに眺めてイルナということなのだと思われるのである。茫猿にしても今や士協会のポジションから離れて久しいから、経緯も知らないし口をはさめる立場でもないけれど、彼にそのような役割を務めさせていながら薄ら笑いを浮かべている後輩達の事勿れ主義が歯がゆいよりも情けなく哀しくなるのである。そして、そんな思いは、先輩達に厳しく育てられてきながら、今や嫌われまいと口を噤もうとする己の不甲斐なさにも向かうのである。
 だから横町の隠居は次世代には手厳しくあってよいと思うのである。だけど次々世代である三十代や二十代の後輩達には和やかなまなざしでいたいと思うのである。ついつい四十五十の一丁前の鑑定士には何も言うまいと云うのが実は間違いなのであり、次の世代にこそ厳しく当たらなければと考える。彼らの背筋がピンとすれば、それが次々世代、次々々世代によい影響をもたらすのだろうと考えるのである。

 ここまで、自分の似たような事件も併せて某日某所の一件を考えてきたら、これは息子達に厳しく孫に甘いというのと同じなのだと気づいた。弟世代や息子世代を育てるというのも烏滸がましいけれど、それが本当の眼施であり言施であり座施なのだろうと思えてくる今朝である。

【敢えて蛇足】
 東京でも地元でも現況に対する似たような愚痴を聞かされることが多い。えてしてそのような愚痴ル人たちはしばらく前の業界の活況しか比較対象にしていない。「昔は、以前は良かった。」という類である。目線を少しばかりひろげてみれば、同じ資格商売でも鑑定業界ほど恵まれた世界は無かろうにと思えるに、好況期との比較しかしないから、自らの体験のなかでしか見ようとしないから、自分たちの恵まれさ加減が判らないのであろう。青い鳥は我が家にいたということなのである。まだまだ恵まれている内に、まだまだ余力がある内に、次の一手を準備しなければと思うのだが、愚痴ル人達は現状への不満と慨嘆しか口にしないのである。第一、愚痴ル人ひとりが席を譲れば、それだけ世の中は和やかになるのだと気づいていれば、愚痴など言うわけもないか。つくづく考えさせられることの多い、総会後のこの数日である。
by bouen | 2008-06-24 10:28 | 茫猿の吠える日々


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