カテゴリ:Who’s 茫猿( 58 )

引越ました

このたび《2012.03.10》『鄙からの発信』発行ツールを変更して引越しました。
従来、当サイトはMovable Type(シックス・アパート社が開発・提供するブログソフトウェア)を利用して発行してきましたが、この度発行ツールをWord pressに変更致しました。
 新しい『鄙からの発信』はこちらから  新『鄙からの発信』     

 Word press (ワードプレス) は、オープンソースのブログ/CMS(Content Management System) プラットフォームです。 セマンティックWeb、コードやデザインの美しさ、Web標準、ユーザビリティなどを意識して開発されており、無料でダウンロードして使うことができるソフトウエアです。
 ブログ発行に一般的に多く使用されているブログ発行ツールは、YAHOO、LIVEDOOR、GOO、EXCITEなどが提供するサービスがありますが、それら無料利用だと広告バナーが表示されることや(有償使用に変えれば広告バナーなどは非表示にできる)、独自ドメインが利用できないなど自由度が制約されます。また企業の意向により思わぬ変更を余儀なくされたりする場合もあります。 それで茫猿は数年前からMovable Typeを利用して『鄙からの発信』を発行してきましたが、この度様々な事情から発行ツールをWord pressに変更したものです。
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by bouen | 2012-03-10 00:16 | Who’s 茫猿

茫猿の遠吠

 Rea Review 制度創設提案を鑑定協会会長宛に発送し、写しをRea Netを通じて存じ寄りの協会役員氏宛回覧に供しました。多分、茫猿遠吠に終わるだろうし、孤猿虚嘯に終わるのであろう。でも今言うべきと考える時に、言うだけは言っておくのである。

 思い出せば、悉皆調査開始の時には天佑があったし、NSDI-PT創設提案の時にも思いもかけぬ結果を招いた。Rea Net構築の時だって、倦むことない活動が結果をもたらした。 REA-REVIEWだって予期せぬ結果が現れないとも限らない。 動かなければ何も始まらないのだ。「井蛙不可以語於海者」であると自覚するが、何もしないよりは、遠吠虚嘯であっても少しはましであろうと考える。 NSDI-PTについても、PTが本来果たすべき役割について、近く提言する予定である。

 それにしても、郵書や電話やファクシミリと較べて、iNETというものは市井の一私人にとって、いいえ草深く棲む鄙人にとって、なんとも有効にして強力な道具であろうかと思う今朝である。
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by bouen | 2010-08-18 08:54 | Who’s 茫猿

法師ゼミ

 夕暮れどき、庭先で見かけた光景を切り撮っただけで、特に他意はございません。
夏の終わりと秋の訪れを告げる法師蝉が、蜘蛛の巣に絡めとられていました。
元気なときなら蜘蛛の巣など歯牙にもかけないのでしょうが、
旬日を鳴き疲れたあとでは、抗し得べくもなく、哀れ蜘蛛の餌となる。
   

 とはいえ、地に墜つれば蟻の餌と為る身なれば、
中空に逆さ吊りとなるも、また、生きるもののならいなのでしょう。
法師蝉や哀れなどと、つまらぬ感傷を覚えるのは、ひとの驕りなのかもしれません。
そういえば、これも spider's web です。

  鳴き逝きて  網目を飾る  身ぞ哀し  《茫猿》

   
 グリーンカーテンを目ざして作った日除けで、苦瓜がようやくに晩夏の花を咲かせています。
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by bouen | 2010-08-18 08:07 | Who’s 茫猿

魂魄

 母の死後、二ヶ月余が過ぎてしまえば、母を思い出すことが徐々に少なくなってゆく。
人は死ぬと無に帰ってゆく、人に限らず生き物は総て死ねば、有機物から無機物に変わってゆく。 生き物の証である命は、その継承をDNAが司っているのであり、DNAの継承のみが命のつながりなのであろう。 母が死に遺骨に姿を変えれば、有機物から無機物に変わってしまったといってよいのであろう。

 母の思い出とか魂魄などと言われるものは残された人々の記憶のなかにつながっているだけであろう。 死者は生者のなかに生きると云えよう。 昨日、NHK:百年インタビューで柳田邦男が、彼の次男の自死にふれて、このようなことを言っていた。

 宗教的な意味でもオカルト的な意味でもなく、死者の魂魄というものは、不滅であると思う。 魂魄(霊魂、たましい、思い出、心情などと表現してもよかろう)は残された近しい者の心のうちに生き続ける。次男の魂魄が柳田邦男の心のうちに生き続け、死者との対話を続けているように、柳田自身の魂魄はその死後において、妻や長男や近しい者の心のうちに生き続けるであろうことを願う。


 おおよそ、こんなふうに述べていたと思う。母の魂魄(母への思い、心情、たましい)が私や長男や次男の心のなかに、心象風景として生き続けるように、私の死後、我が魂魄は誰の心のうちに生き続けるのであろうかと、ふと思う。 誰の心のなかにも居なくなったときに、死者は生物的死に続いて、心象的第二の死を迎えるのであろう。

 このように思い定めてみれば、葬式も法要も霊前に花を供えることも、死者へとつながる総ての行為は、自らと死者との対話に他ならないのである。 己の心象風景に過ぎないと言えばそれまでであろうが、己の心象風景としての対話を続けることが、実は己自身の生きる証なのでもあろうと思われる。
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by bouen | 2010-07-11 10:21 | Who’s 茫猿

移ろう季節

 今週初めくらいから梅雨入り模様です。乾ききって備中鍬をいれると砂ぼこりが起きていた畑も、雨にしっとりと濡れて良い感じです。晴れ間を縫ってなにがしかの野菜や花の種を播いてみようと思います。

 移ろいゆく季節の変わり目はいとおしいものですが、今年は常に増していとおしく雨にも風にも心が揺らされます。腰の曲がった母が作業用の手押し車を押して、からだを右に左に揺らしながら木陰を歩いて来るのが見えます。畑には昨冬に母が仕付けていた作物はもう何もありません。

 それでも畑の其処此処には母の手のあとが残っています。動力管理機で耕作し易いように畑を変えてしまおうかと思いましたが、少しでも母の慈しみのあとを残すためにあぜ道も畑区画の姿も今のままにしておこうと考え直しています。

 昨日、何か残っていないかと、写真ファイルを探していましたら、二年前のファイルを見つけました。それが母を写した最期の写真でした、さすがに衰えは隠せませんがガン告知の前ですしまだまだ達者だった頃の写真です。 これからデジタルプリントしてこようと思います。 亡き弟の孫、母には初の曾孫を抱いてほほえみを浮かべている写真を、近く七七法要に帰ってくる息子達にも用意しておいてやろうと思っています。
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by bouen | 2010-06-16 09:41 | Who’s 茫猿

水無月二日

 水無月の名のとおりに、カラカラ天気が続いている。畑を耕すと土ホコリが起つ有り様である。母が逝ってからもう二十日あまりが過ぎ、後始末も随分と進んだ。屋内の片づけは取り敢えず一段落したし、納屋や畑もそれなりに一区切りである。 七七忌法要の案内状も出したし、医療及び介護保険関係の書類提出も支払いもあらまし済んだ。 お世話になった関係先への挨拶廻りも、ようやくに終えたところである。

 時間が経てば少しは薄らいでゆくだろうと思っていたが、逆である。悔いとも焦燥ともつかない思いが沸き立ってくる。前期と後期の老人二人だけの住まいだし仕事も控えているから、日々追いたてるものは少ない。多少の事柄などは投げ遣りに打ち捨てているから、過ぎ去った断片的な一つ一つが今さらにつながってくる。 それにしても、あまりにもあっけなかったと思える。今だから言えるのであろうが、やはりあっけなかったし早すぎた。まだまだ飽いても倦ねても疲れてもいなかったと振り返るのであるが。

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by bouen | 2010-06-02 04:37 | Who’s 茫猿

母の日

 今年の母の日が過ぎてもう一週間になります。
母の生前には、ついぞ何も贈ることの無かった母の日、遺影の前に花を飾っても「今更」と虚しさのみつのります。 医師と相談の結果とはいえ、医師も最善と評価したとはいえ、自分が決めた母の治療方針は本当に正しかったのかと自問自答しています。母の本当の意志はどのあたりにあったのか、他の選択肢を選ぶ余地はなかったのかなどと思いあぐねています。

《04/19より緊急入院していた母の退院日が決まって-介護日記04/23(金)より》
 母に退院予定を告げたら、「帰えれるのだね」と、とても嬉しそうな顔をした。すぐにも帰りたそうなことを言うから、土曜日曜は病院で過ごし、帰るのは月曜日だと言えば、なぜいま直ぐではないのだと、残念そうでもあり不服そうでもある。

 母が常に利用していた納屋を片づけていたら、様々なものがでてきます。新聞や雑誌の切り抜き、手っ甲、日除け帽子、もう誰も使うことの無い品とは思えども、母の汗が染みていると思えばいずれも捨てられません。棚や引き出しを整理していると、幾つかの品が重複して出てきます。

 無駄を嫌い整理整頓には日頃から気遣っていた母ですが、老いて腰が屈み棚の奥や上の方には手が届かなくなったせいでしょう。 母の亡き後に親爺殿の書庫整理(納屋の二階にある書庫を安全のために一階に移す)と併せて、パイプ棚や整理ボックスなどを買ってきて、納屋を整理していると、何故もっと早くに機能的に整えてやれなかったのだろうと思われます。

 そうすれば日々の作業も楽だったろうに、何より年老いて手が届かなくなり棚の隅に放置されている品々も役だったろうにと思います。 棚の隅にあった幾年も前の梅干し、梅酒、切り干し大根、野菜や草花の種、細々とした用品などを見れば、後悔先に立たずと思わされます。

 今頃母はその昔に可愛がっていた孫の亜希子と遊んでいるだろうか、自分の母よりは二十年以上も長生きしたから自分よりはるかに若い母(祖母)に会って何を語らっているのだろうかと考えます。 ひとは死ねば白骨となり土に還るのだと理屈では判っています。母が孫の亜希子と遊んでいるのは、ただただ我が心象風景に過ぎないのだと判っています。 でも浮かんでくるのは、孫の手を引き杖をついて歩んでいる、老いて腰の屈んだ母の姿なのです。

 四月も末のことでした。 祖母の枕元にいた長男に母は「今日は何日か?」と尋ねたそうです。長男が「四月三十日だよ。」と答えると、「そうか、過ぎてしまったのか。」と残念そうだったといいます。 長男には何のことか判らなかったようですが、4月18日は娘亜希子の命日、今年は三十七回忌ですから、何か供養をと考えていたのだろうと思われます。

 それなのに自らの病のために何もできずに過ぎてしまったのが、残念だったのかもしれません。そのことを長男から聞いたときに、「亜希子が迎えに来たのだろうか。」と思いました。それからは、幼くして逝った娘と老いた母とが、和やかに遊んでいる姿が脳裏を離れないのです。
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by bouen | 2010-05-17 01:35 | Who’s 茫猿

喪失感


 しばらくのあいだ、『鄙からの発信』は間遠な記事掲載を続けていました。最近の記事にて、その訳を仄めかしていますからお気づきかと思いますが、実は今年初めより末期ガンで自宅療養を続けておりました老母が、去る5月8日夜に90年の生涯を全う致しました。ごく短期の入院期間を除いては、病名告知後のほぼ一年間を本人が強く希望するとおりの、終末期治療を受けながら自宅にて永眠致しました。

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by bouen | 2010-05-11 04:26 | Who’s 茫猿

緑のカーテン

 連休も終わって今日はもう七日、連休の間中は晴天続きだったから今日の雨は、「とても佳いお湿り」です。4/29~5/5の長い連休だが、あっと言う間に終わりました。母が病床に居ることから見舞い兼看護支援にと、海外旅行をキャンセルして来てくれた長男夫婦、温度管理や病虫害対策におおわらわの中を縫って駆けつけてくれた次男、久しぶりというよりも、初めて長男の嫁を含め家族六人が一つ屋根の下に寝起きした数日間でした。

 病人の容態はごく一時期を除けば安定していましたから、穏やかで静かな日々でした。気疲れが見える親爺のために、来てくれた息子たちのために、せめて食事だけでも豊かにと飛騨牛しゃぶしゃぶ、同ステーキ、初鰹、岩牡蛎、時に箱押し寿司に挑戦したりと、閑かななかにも賑やかな時を過ごしました。 息子のどちらかが、婆ァーチャンのおかげで盆と正月が一緒に来たみたいだと言ってましたが、床を離れられない母が食卓を囲めないのを除けば、ほんとうに和やかな食事もできました。

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by bouen | 2010-05-07 11:50 | Who’s 茫猿

緑の海に泳ぐ鯉

 為すこともなく連休を過ごしています。 久しぶりに息子たちが家にのんびりと居るので、鯉幟の虫干しをしようと思い立ちました。
   

 写っている鯉幟は重要無形文化財・郡上本染め十四代渡辺庄吉さんの1970年代の作品で、長良川の支流郡上吉田川で寒ざらしされた鯉です。 屋内での虫干しは時折行っていましたが、五月晴れのした、薫風に泳ぐのは随分と久しぶりです。 茫猿の住む鄙里では三十数年前から鯉幟の屋外掲揚は申し合わせで禁止されているから、風に吹かれ緑の海で泳ぐのは三十年ぶりなのです。

 今日は憲法記念日だけど、その昔、5/3と5/5だけが休みだった頃と比較して、土曜休日、振替休日などで4/29から5/5までの長期間の連休が当たり前になってから、憲法記念日の影がいっそう薄くなったような気がする。 それは昭和の日も、メーデーも子供の日も同じようなことなのだけど。
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by bouen | 2010-05-03 02:24 | Who’s 茫猿