<   2010年 07月 ( 17 )   > この月の画像一覧

生活に根をおろす宗教

 縁者が夏休み休暇を利用して短期間のミャンマー旅行を楽しみ、そのスナップ写真を送ってきてくれました。いわばフォト旅行記という訳です。多くの写真のなかで仏教寺院の夜景写真が美しく印象に残りました。 東南アジア各地を旅すると、《とは申してもさほど多くの機会を得たわけではありませんが、》各地で宗教が生活に根をおろしているのを感じます。

 それは仏教に限らず、回教もヒンズー教も、限定的ですがキリスト教も同じです。寺院建築が壮大で華麗なさまと大衆の生活との落差は、生活と宗教というものについて考えさせてくれます。

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by bouen | 2010-07-31 02:18 | 只管打座の日々

清水千弘氏講演会

 過去記事でご紹介しました清水千弘氏の講演会開催についてお知らせします。 この講演会は閉塞状況に直面する鑑定業界にとって、多くの示唆を得られるであろう得がたい機会と考えます。まだ席に余裕があるようですから、近県在住の多くの方に聴講をお勧めします。日時、会場、参加申込み方法は末尾に掲載します。
清水千弘氏について (2010年4月19日)

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by bouen | 2010-07-28 09:34 | 不動産鑑定

毒か薬か、面白半分

 先の記事「iPADに感激」をアップしてから、様々な批判をいただいています。 曰く「扱いようで毒になる薬のレシピを公開する馬鹿者」、曰く「危険が潜むリモートアクセスを、面白半分で扱う愚か者」、いずれもごもっともな批判であろうと思われます。 それでも馬鹿で愚かで阿呆な茫猿は、面白おかしく野次馬根性高く、新しきを試すことから次の舞台の幕は開くと考えています。

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by bouen | 2010-07-27 08:41 | 不動産鑑定

公衆WifiとiPAD

 iPADのiNET接続は自宅無線LANに始まり、モバイルルーターへの接続も確認できたが、残るは公衆Wifiへの接続確認である。そこで、最も近場のWifiスポットとして新幹線岐阜羽島駅で試してみることとした。 さすがに鄙とはいえ新幹線駅である、岐阜羽島駅構内に入ると幾つかのWifi:公衆無線LANサービスを我がiPADは認識する。公衆Wifiへの接続はPW認証までは進んだもののiNET接続は完了できなかった。その原因はまだ不明であるが、日をおいて再挑戦してみようと思っている。ここまでくれば時間の問題であろう。《接続不調の原因は、ID、PWが正しく入力できていなかったことにありました。(10.07.28追記)》

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by bouen | 2010-07-27 06:25 | NSDI:地理空間情報

不動産市況DI調査

 (社)岐阜県不動産鑑定士協会では、かねてからの懸案事項であった「不動産市況DI調査」を社団法人岐阜県宅地建物取引業協会との協同事業として実施し、この度その成果をまとめて公表致しました。岐阜県不動産市況DI調査の概要は以下に記すとおりですが、市場における宅地建物取引業界における実感と今後予測に関わる調査であり、不動産市場動向把握に寄与するところは大きいものと思われます。

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by bouen | 2010-07-25 10:53 | 不動産鑑定

iPADに感激

 iPADに感激している茫猿です。
iPADで読書する。ネットブラウジングする。ナビゲーションする。 こんなところは、iPADの売りセンだから、予想どおり、驚くことはない。WIFIルーターを使えば、何処でもいつでもネット環境にいる。これも予想どおり。それでも写真が綺麗だし、You Tubeが随分と見やすくなった。プロモーションビデオなんかは「ホォー」ものである。

 凄いなと思わされたのは、iPADからMyPCへのリモートアクセスだ。 WIFI環境に居ると云うこと、つまりiNet環境に居るという前提付きだが、何処からでも、いつでも自宅や事務所のMyPCへアクセスが可能になったと云うこと。それも面倒な設定など何も無しに、楽々とアクセスできる。「BIGLOBE-LogMein」は優れものである。もう余分なファイルをノートPCで持ち歩くこともない。

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by bouen | 2010-07-23 02:26 | 只管打座の日々

梅雨明け十日

 梅雨明け後の十日間が一番暑いと云います。梅雨の間のジメジメ感と時には肌寒さを感じた時が過ぎて、気温はグングン上昇するものの湿気がまだ残る十日間というものは、例年のごとくとても暑く感じます。 昨日も各地で35度を超える猛暑日でしたが、それでも朝夕には僅かながら涼風が軒端をわたってくるようになりました。 あと一週間もすれば、暑さも乾いた暑さになるし、朝夕の涼風は秋の訪れを感じさせるものになるでしょう。 そんな盛夏を示す写真を三つ掲げてみます。

 梅雨明けのこの時期は稲作にとって、稲株が分けつを繰り返すとても大事な時期です。今朝もラジコンヘリが音高く薬剤散布を行っていました。鄙のあたりの稲作はラジコンヘリによる集団防除を行うようになってから、またひとつ農作業の負担から解放されています。
  
  

 この夏の京都の祇園祭山鉾巡幸は終わりましたが、巡幸の翌日に山鉾の解体作業を見るのも一興です。特に釘やボルトを一本も使わずに組み立てられた山鉾の縄組の美しさは一見の価値有りです。
  
  
  

 三条大橋のたもとに鎮座するこの方(高山彦九郎)は、見るからに暑さが増すお顔です。
  
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by bouen | 2010-07-22 11:20 | 只管打座の日々

iPADが来た日

 遅ればせながら、茫猿の手元にもiPADが届きました。まだまだ使いこなせていないというのが本当のところですが、何処でもインターネット、現場写真をGOOGLE地図上で開くことなどは設定して試行錯誤を繰り返しています。メインPCとの同期が簡単なのも嬉しいことです。追い々々に記事にして参りたいと考えています。ところで、GPS内蔵カメラで撮影したファイルをiPAD地図上で開いてみますと、それだけで実に多くの情報が表示できることに気づかされます。

 事例地の写真をIpadに保存して分科会席上での討議材料に使ったり、選定替え地点の説明資料に使ったりと、IPADやGPSカメラが地価公示の必須アイテムになれば、様々のことがらが変わってゆくだろうにと思います。

 NSDI-PTに取り組んだのも、もとをただせば、十年一日のごとき感覚論を脱却し(感覚論を全否定するわけではありません。感覚論プラスが求められていると思うのです。)、デジタルテキストデータ、イメージデータ、地理データを有機的にリンクするシステムを構築したいと願ったからです。 鑑定業界が亀のごとき歩み(着実であればまだしも蛇行が多く鈍い歩み)を漫然と繰り返しているあいだにも、世間はまたひとつ新たなる領域へ歩みを進めたという感じがしてなりません。

   
 カスタマイズした、IPADの裏面です。

   
 IPADとGPS内蔵カメラです。これに携帯電話を加えて鑑定新三種の神器と云えなくもない。IPADの画面は『鄙からの発信』TOPです。
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by bouen | 2010-07-21 10:52 | 只管打座の日々

魂魄Ⅱ

 生命の有り様と連続について、先頃お亡くなりになった「井上ひさし」氏が、我が蒸発始末記と題するエッセイ集に収録されている「本とわたし」の一節に、とても判りやすく説かれているから、以下に引用する。

 地球上の生物に共通するのは「死ぬ」という事実である。たしかに生あるものはみんな死ぬ。だが、よく見ると死ぬのはそれぞれ個体であって、生命そのものほ(核戦争が地球をこわしでもしないかぎりは)永遠に連続してゆく。

 わたしたちの一人一人が、地球上に出現した初発の生命を引き継いでおり、だからこそいまこうやって生きているのであり、この生命を後の世代に移し伝えてやがて死ぬ。わたしたちの個体は、そこで灰になり、土へ還る。がしかし、わたしたちが中継した生命は地球最後の日までたしかに続いてゆく。

 つまりわたしたちは、生命の永遠の連続の、とある中継点で生きているのである。この中継点で、わたしたちはこれまでの生命の連続のすべてをぐつと引き受け、できればその連続になにかましなことを一つ二つ付け加えて、あとはすべてを後世に托する。これが中継走者の役目だろう。


 井上氏の説かれていることについて、別の表現をすればこうも云えるのではなかろうか。
 宇宙が誕生して約二百億年、地球が誕生してからも約四十億年、地球に原始生命が生まれてから約十数億年が経過している。 しかし、現世人類が生まれてからはまだ十数万年である。まだとは言ったものの、十数万年でも凄い長さである。百歳未満のひとの一生の長さからすれば何千倍にも相当する長さである。

 その長い々々歳月のなかの一つの連結節に我々は存在しているのである。永い過去から遠い未来につなぐ位置にあって両者をつないでゆく希有な存在であると言えるのである。しかし、別の観点から見れば、数え切れないほどあまた在る人という存在の僅かな一人であり、取るに足りない存在であるという言い方もあるだろう。

 長い歴史の中に数え切れないほど多く存在する生命の一つに過ぎないと言ってしまえば、ひとつひとつの生命はとても軽く、在るや無きやの存在に感じられてくる。 でも、その一つ一つが存在すること自体が、たとえようもない希有なことでありかけがえのないことなのだと思えば、ひとつひとつの生命はとても重く貴重なものに見えてくる。

 亡き母との対話という心象風景をつないでゆけるのは私ひとりにしか他ならず、私が存在したということを心象風景としてつないでゆくのは、私のDNAを引き継ぐ子供たちに他ならないと思えば、《できればこの連続になにかましなことを一つ二つ付け加えて、あとはすべてを後世に托す》という考え方が素直にうなずけるのである。
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by bouen | 2010-07-15 01:51 | 只管打座の日々

サイトの旬Ⅱ

 ウエブサイトには旬があると書いたのは、そう遠くないことである。 『鄙からの発信』にも当然に云えることであるし自覚もしているが、茫猿が渉猟するサイトも時と共にいつの間にやら、うつろっている。 最近、毎日のようにチェックするのが、このサイト「記憶の彼方へ」である。

 今日は敬愛する辺見庸氏についてふれている。 が何より佳いのは、鋭く時勢を洞察していながら、それでいて物言いがとても穏やかなこと、もっと佳いのは掲載されている写真の美しさである。 いつの日にか、こんな写真が撮れるようになりたいと願っている。
 前日の「毎日コツコツと更新するサイトや人生」と題する記事も、胸に落ちてくる。

 近づけるよう願いながら、雨の庭先で切り撮った手すさびである。





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by bouen | 2010-07-14 04:44 | 只管打座の日々