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旧盆の庭先


 朝露を踏んで、旧盆の庭先を切り撮ってみました。それぞれに固有の名前があるのでしょうが、不案内な茫猿には判りません。それでも、常日頃は見落としているだけでなく踏みつけている花たちが、切り撮ってみればいとおしく思えます。

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by bouen | 2010-08-15 09:30 | 只管打座の日々

魂魄Ⅱ

 生命の有り様と連続について、先頃お亡くなりになった「井上ひさし」氏が、我が蒸発始末記と題するエッセイ集に収録されている「本とわたし」の一節に、とても判りやすく説かれているから、以下に引用する。

 地球上の生物に共通するのは「死ぬ」という事実である。たしかに生あるものはみんな死ぬ。だが、よく見ると死ぬのはそれぞれ個体であって、生命そのものほ(核戦争が地球をこわしでもしないかぎりは)永遠に連続してゆく。

 わたしたちの一人一人が、地球上に出現した初発の生命を引き継いでおり、だからこそいまこうやって生きているのであり、この生命を後の世代に移し伝えてやがて死ぬ。わたしたちの個体は、そこで灰になり、土へ還る。がしかし、わたしたちが中継した生命は地球最後の日までたしかに続いてゆく。

 つまりわたしたちは、生命の永遠の連続の、とある中継点で生きているのである。この中継点で、わたしたちはこれまでの生命の連続のすべてをぐつと引き受け、できればその連続になにかましなことを一つ二つ付け加えて、あとはすべてを後世に托する。これが中継走者の役目だろう。


 井上氏の説かれていることについて、別の表現をすればこうも云えるのではなかろうか。
 宇宙が誕生して約二百億年、地球が誕生してからも約四十億年、地球に原始生命が生まれてから約十数億年が経過している。 しかし、現世人類が生まれてからはまだ十数万年である。まだとは言ったものの、十数万年でも凄い長さである。百歳未満のひとの一生の長さからすれば何千倍にも相当する長さである。

 その長い々々歳月のなかの一つの連結節に我々は存在しているのである。永い過去から遠い未来につなぐ位置にあって両者をつないでゆく希有な存在であると言えるのである。しかし、別の観点から見れば、数え切れないほどあまた在る人という存在の僅かな一人であり、取るに足りない存在であるという言い方もあるだろう。

 長い歴史の中に数え切れないほど多く存在する生命の一つに過ぎないと言ってしまえば、ひとつひとつの生命はとても軽く、在るや無きやの存在に感じられてくる。 でも、その一つ一つが存在すること自体が、たとえようもない希有なことでありかけがえのないことなのだと思えば、ひとつひとつの生命はとても重く貴重なものに見えてくる。

 亡き母との対話という心象風景をつないでゆけるのは私ひとりにしか他ならず、私が存在したということを心象風景としてつないでゆくのは、私のDNAを引き継ぐ子供たちに他ならないと思えば、《できればこの連続になにかましなことを一つ二つ付け加えて、あとはすべてを後世に托す》という考え方が素直にうなずけるのである。
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by bouen | 2010-07-15 01:51 | 只管打座の日々

魂魄

 母の死後、二ヶ月余が過ぎてしまえば、母を思い出すことが徐々に少なくなってゆく。
人は死ぬと無に帰ってゆく、人に限らず生き物は総て死ねば、有機物から無機物に変わってゆく。 生き物の証である命は、その継承をDNAが司っているのであり、DNAの継承のみが命のつながりなのであろう。 母が死に遺骨に姿を変えれば、有機物から無機物に変わってしまったといってよいのであろう。

 母の思い出とか魂魄などと言われるものは残された人々の記憶のなかにつながっているだけであろう。 死者は生者のなかに生きると云えよう。 昨日、NHK:百年インタビューで柳田邦男が、彼の次男の自死にふれて、このようなことを言っていた。

 宗教的な意味でもオカルト的な意味でもなく、死者の魂魄というものは、不滅であると思う。 魂魄(霊魂、たましい、思い出、心情などと表現してもよかろう)は残された近しい者の心のうちに生き続ける。次男の魂魄が柳田邦男の心のうちに生き続け、死者との対話を続けているように、柳田自身の魂魄はその死後において、妻や長男や近しい者の心のうちに生き続けるであろうことを願う。


 おおよそ、こんなふうに述べていたと思う。母の魂魄(母への思い、心情、たましい)が私や長男や次男の心のなかに、心象風景として生き続けるように、私の死後、我が魂魄は誰の心のうちに生き続けるのであろうかと、ふと思う。 誰の心のなかにも居なくなったときに、死者は生物的死に続いて、心象的第二の死を迎えるのであろう。

 このように思い定めてみれば、葬式も法要も霊前に花を供えることも、死者へとつながる総ての行為は、自らと死者との対話に他ならないのである。 己の心象風景に過ぎないと言えばそれまでであろうが、己の心象風景としての対話を続けることが、実は己自身の生きる証なのでもあろうと思われる。
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by bouen | 2010-07-11 10:21 | Who’s 茫猿

母の日

 今年の母の日が過ぎてもう一週間になります。
母の生前には、ついぞ何も贈ることの無かった母の日、遺影の前に花を飾っても「今更」と虚しさのみつのります。 医師と相談の結果とはいえ、医師も最善と評価したとはいえ、自分が決めた母の治療方針は本当に正しかったのかと自問自答しています。母の本当の意志はどのあたりにあったのか、他の選択肢を選ぶ余地はなかったのかなどと思いあぐねています。

《04/19より緊急入院していた母の退院日が決まって-介護日記04/23(金)より》
 母に退院予定を告げたら、「帰えれるのだね」と、とても嬉しそうな顔をした。すぐにも帰りたそうなことを言うから、土曜日曜は病院で過ごし、帰るのは月曜日だと言えば、なぜいま直ぐではないのだと、残念そうでもあり不服そうでもある。

 母が常に利用していた納屋を片づけていたら、様々なものがでてきます。新聞や雑誌の切り抜き、手っ甲、日除け帽子、もう誰も使うことの無い品とは思えども、母の汗が染みていると思えばいずれも捨てられません。棚や引き出しを整理していると、幾つかの品が重複して出てきます。

 無駄を嫌い整理整頓には日頃から気遣っていた母ですが、老いて腰が屈み棚の奥や上の方には手が届かなくなったせいでしょう。 母の亡き後に親爺殿の書庫整理(納屋の二階にある書庫を安全のために一階に移す)と併せて、パイプ棚や整理ボックスなどを買ってきて、納屋を整理していると、何故もっと早くに機能的に整えてやれなかったのだろうと思われます。

 そうすれば日々の作業も楽だったろうに、何より年老いて手が届かなくなり棚の隅に放置されている品々も役だったろうにと思います。 棚の隅にあった幾年も前の梅干し、梅酒、切り干し大根、野菜や草花の種、細々とした用品などを見れば、後悔先に立たずと思わされます。

 今頃母はその昔に可愛がっていた孫の亜希子と遊んでいるだろうか、自分の母よりは二十年以上も長生きしたから自分よりはるかに若い母(祖母)に会って何を語らっているのだろうかと考えます。 ひとは死ねば白骨となり土に還るのだと理屈では判っています。母が孫の亜希子と遊んでいるのは、ただただ我が心象風景に過ぎないのだと判っています。 でも浮かんでくるのは、孫の手を引き杖をついて歩んでいる、老いて腰の屈んだ母の姿なのです。

 四月も末のことでした。 祖母の枕元にいた長男に母は「今日は何日か?」と尋ねたそうです。長男が「四月三十日だよ。」と答えると、「そうか、過ぎてしまったのか。」と残念そうだったといいます。 長男には何のことか判らなかったようですが、4月18日は娘亜希子の命日、今年は三十七回忌ですから、何か供養をと考えていたのだろうと思われます。

 それなのに自らの病のために何もできずに過ぎてしまったのが、残念だったのかもしれません。そのことを長男から聞いたときに、「亜希子が迎えに来たのだろうか。」と思いました。それからは、幼くして逝った娘と老いた母とが、和やかに遊んでいる姿が脳裏を離れないのです。
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by bouen | 2010-05-17 01:35 | Who’s 茫猿

喪失感


 しばらくのあいだ、『鄙からの発信』は間遠な記事掲載を続けていました。最近の記事にて、その訳を仄めかしていますからお気づきかと思いますが、実は今年初めより末期ガンで自宅療養を続けておりました老母が、去る5月8日夜に90年の生涯を全う致しました。ごく短期の入院期間を除いては、病名告知後のほぼ一年間を本人が強く希望するとおりの、終末期治療を受けながら自宅にて永眠致しました。

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by bouen | 2010-05-11 04:26 | Who’s 茫猿

そうかもしれない

「そうかもしれない 耕 治人(コウ ハルト)・命終三部作」
耕治人(1906-1988)、明治39年に生まれ、昭和とともに亡くなった作家である。不明にしてこのような作家がいたことを知らなかった。でも、バブル全盛のこの國にこのような作家と彼をささえる人々が居たことを、そして没後17年を経て武蔵野書房から命終三部作が出版されたことを、命終三部作を素材にして雪村いずみ、桂春團治主演で映画「そうかもしれない」が制作されたことを知ると、まだまだ捨てたものではないと思えてくる。

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by bouen | 2007-04-07 15:39 | 只管打座の日々