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閉塞感と曲がり角

 今現在、若者が抱えている閉塞感について常々我が息子達から聞かされている。悩み多き彼等の背景を少しでも理解したくて「若者は なぜ3年で辞めるのか?」という新書を読んでみた。時を同じくして「憲法九条を世界遺産に」という新書も手にしている。



 折しも安部新総理が誕生して間もなく、北朝鮮が核実験を行ったことから極東アジアのパワーバランスが危ういような印象が今さらに振りまかれている。若者の閉塞感は「年功序列制や終身雇用の崩壊」が現実のものとなっているのに、それに替わる未来が見えないことにあるのだろう。そしてそのような閉塞感が北朝鮮を仮想敵国化して曲がり角を打破して行くような論調に追随し雷同することにつながってゆくのであろう。

 両書ともに新書版だから直ぐにも読み切れそうなのだが、まだ読み切れていない。だから読後感想は書かない。
「辞める若者・・」に関して云えば、年功序列も終身雇用も経済の拡大傾向が未来永劫続くであろうという前提のもとに成り立ち得たパラダイムであり、それがバブル崩壊後の少子高齢化社会では無惨な状況にあることは言揚げするまでもない。

 「憲法九条世界遺産」について云えば、理想を追い求めることに疲れた人々や、憲法が示す世界に飽き足らないというか不満な人々が、自主憲法などという表現で憲法改定を目論むわけであろう。その改訂論の最も大きな眼目は、日本国における憲法が位置する場所の変更なのであろう。つまり憲法というものの本来は、国家に代表される権力機構が、国民というか統治エリアに居住する人々に対して犯してはならない事柄を示したものなのである。それがいつのまにやら憲法改正論議は国家が国民に求めるものを示す方向に変わりつつある。権力者の手枷・足枷としての位置付けから、国民の手枷・足枷を定めるものに変わろうとしていると云えるのではなかろうか。これを本末転倒というのである。

 でも憲法などと大上段に構えなくとも、この景気回復が喧伝されるなかで、労働組合に所属する雇用者と、パートや派遣や偽装請負などの労働組合に組織化されない雇用者との格差はすさまじいものがあるようだ。何よりも凄まじいのは既存の労働組合が新しい雇用形態のパートや派遣や偽装請負を組織化しようとしないことであろう。いわば労働組合員に代表される正規雇用者と経営者がスクラムを組んで非正規雇用者を収奪するという構図が浮かび上がってくるのである。

 そして最も愚かしいのは、自分たちの既得権益を守るために非正規雇用者を阻害する正規雇用者群(労働組合その他)なのである。彼等は非正規雇用者の劣悪な労働環境を無視し続けることは、即ち自分たちの墓穴を掘り続けていることに他ならないという事実に気づいていないのである。
即ち、正規雇用者の代替としての非正規雇用者の存在は、正規雇用者の労働条件悪化に、少なくとも現状維持に大きな理由となっていることに気づくべきなのである。これこそ、「情けは人の為ならず」なのであるが、今や死語となってしまっている。

 景気回復の牽引車と経済マスコミでもて囃されている名だたる企業の収益源は何かと云えば、「季節工、期間工、派遣、請負、パート」といったアンフエアな労働市場の成果なのである。もう一つの大きな収益源は超長期間にわたる超低金利である。家計が受け取るべき利息が金融機関及び企業に転移したわけである。低金利の最大の受益者は国債金利支払いが安かった国と預金金利支払いが低かった金融機関であろう。この何年間かに持て囃されてきた少なからぬ著名経営者がその後ろ手で何を行ってきたか、検証されねばならないのである。

 こういった、年金や雇用環境や介護や医療といった生活に密着する多くの事柄について、そこに生じている世代間不平等や地域間(都会と過疎地)不平等について目を向けようとせずに、憲法とか教育とか周辺事態といった言葉遊びにうつつを抜かしていられる人々の無神経さが腹立たしいのである。
同時に、その無神経な人達(ハメル-ンの笛吹)に好いように鼻面を引き回されながら、それでもなお笑顔で付いてゆく人々のお人好しさ加減が何ともヤルセ無いのである。
by bouen | 2006-10-14 11:37 | 茫猿の吠える日々


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