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感傷に浸る日々

 感傷に過ぎないことは重々承知の上である。でも昨日今日の悲劇を耳にする時に感傷の世界に浸りたくなるのである。
・子供を餓死させる親、通報を受けても聞き逃す福祉事務所、
・イジメを率先するかのような教師、見て見ぬふりをしてきた周りの大人達、



 気になる言辞が多いのである。「・・のようには理解していなかった。」とか「認識不足といわれれば、そうかもしれませんが・・・」、どうにも他人事的な責任逃れ的な台詞が多いのである。否定もしなければ肯定もしない、アイマイ表現といわれるものである。 だから、茫猿は感傷の世界に退避して癒されたくなる。
感傷に浸る日々_e0076374_17324384.jpg さほどの意味とてなき感傷だとしても、茫猿はセピアの世界に退避する。
モノトーンの想い出は様々な夾雑物をそぎ落として、おさな児の笑顔だけが溢れている郷愁の彼方、至福の世界に漂よう旅を許してくれる。 セピアの世界に旅すると、あの時の私は幸せの渦中にいたのだと思い知らされる。同時に二度と帰り来ることのない歳月というものの、残酷さも潔さも思い知らされる。

感傷に浸る日々_e0076374_1762670.jpg 教育問題が騒がしい、教育再生とか学校再生とか言葉だけが踊っている。でも単なる管理強化や現場イジリからは何も生み出さないのではなかろうか。学校教育以前の問題や学校外に問題が山積みになっているのであろう。 家庭のシツケを云う前に、リストラに怯えフリーターに甘んじざるを得ない若い親達、社会から孤立している親達、適応能力が乏しく心構え無しに親になってしまった親達、学級の過半の世帯が生活保護とか要支援世帯になる校下状況を放置しておいて学校再生などあり得るはずもない。そういったヒズミの元をたださなければ何も変わり得ないであろう。

 社会が悪いと短絡するのではない。学校現場の荒廃は社会の反映なのであり、社会の安定を求めなくて学校の安定などあり得ないと云いたいのである。ニートやフリーターが百万人単位で存在しているという、今でも大変だが十年後の日本を大きく揺るがすであろう難問である。彼等の全員を採用するわけにはゆかないが、大量退職する団塊の世代の後釜として学校現場に採用できないだろうか。

 教職資格はおいおいに取得すればよいのである。何よりも彼等は若い、社会の低層や底辺を肌で実感している。そういった彼等を一人でも二人でも学校現場に迎えることが、学校や教育界という組織を複線思考のできる余裕ある社会に変えてゆくのではなかろうか。夢みたいな話だろう、責任ある地位の人々は一笑に付すであろう。でも夢みたいな話の中からこそ、本当の解決の糸口が見えてくるのではなかろうか。
 核装備の議論を始めようなどと愚かなことをほざいている暇に、戦闘機一機かミサイル一機分で着手できる話ではありませんかえ、安部さん、麻生さん、そして中川さん。

感傷に浸る日々_e0076374_17532250.jpg  メジャーになるに連れ商業性が全面に出てきたし、テーマも些か苦しくなってきたが、まだまだ『やーわらか せーんしゃの こーこーろは ひとつー いきのびたーい いきのびたーい』 なのである。

 久しぶりに、「時事ネタコラムのページ [利酒日記別室]」が更新している。
06.10.21のテーマは「格差は仕方ないと、開き直る態度が気に入らないのです。」と単刀直入である。久しぶりの切れ味である。
by bouen | 2006-10-25 19:36 | 只管打座の日々


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