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はばたいて止揚

 地価調査も一段落して、一息ついている。自治体財政事情が悪化して調査地点数が削減されたのと評価員が増えたのとが相まって、担当地点数が減り作業が軽減されたせいである。とはいっても、初老に至った茫猿はともかくとして、若手や壮年の評価員にとっては削減は直ちに歓迎できることでもなかろう。



 地価調査地点数だけでなく、固評標宅数も市町村合併事情もあり削減傾向が拡大していると聞こえてくる。先日も、茫猿より年長の某氏から「あなたの固評標宅評価担当地点数は?」と聞かれ、「○○地点数ですよ。」と答えたら、「それは少し寂しいですね。」と慰められた。彼の評価担当地点数が如何ほどかは知らないが、茫猿も人様から慰められるようになったのだと、内心で苦笑したばかりである。

 そんな俗事はさておき、七夕明けにふさわしく、心癒される止揚の話題である。茫猿にとって「止揚」は「癒し」なのである。今日は季刊誌「止揚」編集長渋谷氏の百号記念寄稿である。彼女が毎号の編集後記を記しているのは知ってたが、まとまった寄稿を読ませて頂くのは多分初めてである。何せ、35年前の創刊以来の編集長である。彼女のスナップは7/2記念式典記事に掲載済みである。「渋谷編集長」

 実は福井先生には、「美男子の僕の写真を使うのであれば、モデル料がほしいな。!!」と言われたものである。そう言いながら、止揚シスターズや渋谷編集長については、「どうぞ載せてあげて下さい。」と言われるのだから、茫猿にすれば「それは逆でしょう。彼女たちにはモデル料をお支払いしますが、先生からは逆に掲載料を戴きたいものです。」と、お応えしたのである。



 福井先生のお話によれば、季刊誌止揚は35年前、1972年8月に創刊されました。当時福井先生は40才、ある入園生が亡くなった告別式の時に、泣いている職員の皆さんを前にしてこう言われたのです。「何を泣いているんや。彼女は涙なんか嫌いやった。明るい笑いで送り出してやらんとあかん。そして、『胸を張って歩かしてやりたかった』やあらへん。『知能に重い障害を持った仲間たちが、胸を張って歩ける社会を皆で力を合わせて創るんや』という行動が大切なんや。みんな涙をふいて、前に向かって進むんや」と大きな声で言われたそうです。

 その「創り出す」という声を具体化しようということから、「知能に重い障害を持った仲間たちの悲しみや苦しみから、私たちが教えられたことを文章にし、多くの人に知ってもらおうと「季刊誌・止揚」が誕生したのです。編集者にはその年、新任職員になった渋谷さんたち四人が責任を持つこととなりました。
 それは、「何もわからない新任職員こそ、新鮮な思いで「止揚」が創れる、わからないことは素晴らしいことなのだ、そこから光や希望を生み出すことができるのだ」と考えられたのです。

 はばたいて「止揚」  [季刊誌・止揚100号記念号より]

 今から三十五年前、新任職員の一人であった私は、思いもかけず季刊誌創りの一員となり、以来、創刊号から百号に至る迄、「止揚」の発行に携わらせていただいています。
 当時、出版係の私たちはワイワイと楽しい編集会議をよく開きました。しかし、季刊誌創りに使える予算は十分に無く、出版費用をどのように捻出するかを話し合う時は、さすが皆、神妙な顔つきをしていたことを思い出します。それでも話し合いの結果は即行動。いろいろなグループの方々に季刊誌発行の熱い思いを語り、協力のお願いをし、温かいお支えやお力添えをいただきました。
 又、能登川のまちの商店を一軒一軒、広告掲載のお願いに回りました。このように経済的なことにも力を出し合ったことは季刊誌創りだけでなくそれからの歩みに大きな学びとなっています。こうしてどうにか費用面のことも目途がつき、季刊誌の大きさ、ページ数、発行部数等も決まり、その名も「止揚」と名付けられ、年三回発行、一部百五十円(当時)という小さな季刊誌が誕生しました。以来、三十五年が過ぎ、今度百号を迎えることになりました。
 ずらり並んだ「止揚」を一冊一冊見ていきますと、実に多くの皆様に原稿を書いていただいたことを目の当たりにして胸が一杯になります。
 原稿依頼は季刊誌創りの中でも特に重要な部分です。発行以来、「止揚」は毎号特集を組み、その内容に添って誰に執筆していただくかを相談し決めています。お願いする方が決まれば依頼の電話です。私は電話の前にしばらくすわり、心を落ち着かせます。そして、受話器を取り、相手の方につながれば用件を伝えます。
 「いいですよ、喜んで書きます」 「書かせてもらえて光栄です」 等々のお返事をいただくと跳び上がりたいほどうれしくなります。でも、その気持ちを抑え心からお礼を述べ、受話器を静かに置きます。こうして百号まで数百人を超える方々が原稿を寄せて下さり、そのお力添えで「止揚」の誌面を豊かにしていただくことができました。毎号、このようにして〆切日までには原稿が集まり編集・校正を繰り返し印刷会社にお願いすればあとはもう完成を待つばかりです。
 美しく刷り上った「止揚」が玄関に届くと止揚学園の仲間は大喜びです。さっそく広い部屋に机を出し、出来たての「止揚」と、丁寧に宛名書きされた発送用の封筒が並べられます。「止揚」を待っていて下さる皆様のお手元に少しでも早く届くようにと、総出で発送作業にとりかかります。一冊一冊封筒に入れている私たちの周りで「フレー・フレー・しよう=」と障害をもつ仲間の人たちが応援してくれます。この皆の明るい笑いと感謝の気もちも封筒にこめながら、「止揚」の発送作業も順調に進むと、最後、箱に詰められていよいよ発送です。私は車に積まれて全国各地へ発送される「止揚」にいつも声をかけます。「いってらっしやいー・しつかり読んでもらってね」と。
 スッポリと手やカバンの中に入ってしまう小さな「止揚」ですが、これからも、障害をもつ人々のこと、生命の尊さ、豊かな心のこと等、広く、深く、どこまでも、はばたいて伝えて欲しいと願っています。そして皆様に愛され、大切にされる季刊誌となるようこれからも祈りと共に号を重ねていきたいです。
 本当にありがとうございます。 『止揚編集長 渋谷 様 記』


 本当にそうなんです。今や三千部を超える発行部数の止揚です。普通の感覚からすれば、「宛先」をパソコンに入力しておいて、封筒に印字して発送する。もう少し進んで封緘まで自動化するということを考えそうです。茫猿なら多分そうするでしょう。冊子止揚の購読料、寄付の入金などなど、支援者の(”管理”)にもパソコンは便利でしょう。

 でも止揚学園はパソコンを「”支援者・読者管理”」には使わないのです。宛先はきちんと背筋の通った楷書の手書きです。学園にお邪魔した際のお礼も、僅かばかりの寄付のお礼も、正月にお千代保稲荷の門前でお会いした年賀も、皆手書きなのです。

 茫猿はいつからか、学園から届く総ての手紙を保存しています。時々、疲れたときなどには、学園の美しく元気で明るいスタッフの皆さんのお顔を思い出しながら、お手紙を読み返しています。最近の世相には嫌気がさしています。業界の様々な問題も、もう係ずり合うのをよそうと思っています。でも、先日、学園にお邪魔して皆さんにお会いし、皆さんの笑顔に迎えられて、「もう一がんばりしょうかな」と思い始めています。

 私が止揚学園のためにできることなど微々たるものです。業界のためにも社会のためにも何ほどのこともできません。でも、それで佳いのではないかな、たとえ僅かでも微々たるものでも、足を引っ張るよりましだし、何よりも佳かれと思う気持ちの者が一人でもいる。笑顔で応援しますという者が一人でもいる、それだけでよいのではなかろうかと思い始めています。
 福井先生の言われる「負けいくさにかける」のも、久野収氏の云われた「負けてから始まる」ということも同じことなのだろうと思います。「眼施」という言葉があります。肩肘張らずに、及ばずながら、せめて「眼施」を、心がけようと思い始めています。

「無財の七施(雑宝蔵経)」

1. 慈眼施(やさしい眼差し)
2. 和顔施(周りの人を穏やにする朗らかな表情)
3. 言辞施(相手を思いやった言葉づかい)
4. 捨身施(自分の体を使った奉仕)
5. 心慮施(思いやりの心)
6. 牀座施(自分の席を他人に譲る)
7. 房舎施(寝るところ、宿を提供する)


 冒頭に地価調査地点数の削減と、その結果として作業負担が軽減されたことを記した。地価調査業務に限らず、地価公示業務についても負担に思うのであれば業務委嘱を希望しなければよいのであるが、地方でこれら(いわゆる)公的評価業務に参加しないというのは情報過疎に陥るものであるとともに、全国展開され必須業務となった新スキームでなくとも事例収集・調査という共同(基幹)業務に参加しないこととなり、好ましいことではない。

 とはいうものの、委嘱希望をするに際して年齢制限が伴う業務について、書類に記す自らの年齢が制限年齢に近づくにつれて「牀座施」ということを思うのである。地価公示も地価調査も相続路線価標準地も固評標宅も、さらには競売評価も、業務委嘱を希望するには65歳未満もしくは70歳未満という年齢制限が伴うのである。相続路線価標準地と固評標宅については、直接的には年齢制限はないが、地価公示業務従事者に限定するという条件が付されるのが一般的である。

 つまり、これらの(いわゆる公的評価)業務は限られた業務量を希望する鑑定士で分け合うものであることから、ゼロサムの世界である。今や(分子の)全体業務量は増えるどころか年々削減傾向にあるのに、(分母である)鑑定士数は年々増加傾向にあり高齢化が進んでいる。「牀座施」なのであろうが、公示・調査については軽々にはそうも為らないので、せめて貪るような振る舞いだけはすまいと心するのである。
by bouen | 2007-07-08 05:01 | 止揚学園の人々


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