人気ブログランキング | 話題のタグを見る

伊藤和也氏を悼む

 今日9月1日、アフガニスタンで凶弾に倒れた伊藤和也氏の葬儀が、掛川市で行われた。



 ここ数日ばかりSPAMトラバの影響からサーバが不調で、新規のエントリーがアップできませんでした。その間にも季節は夏から秋へとうつろい、世の中には多くの出来事が生まれそして過ぎてゆきました。

 アフガニスタンで拉致され、殺害された日本のNGO・ペシャワール会(本部・福岡市)の伊藤和也さん(31)の葬儀が1日、実家のある静岡県掛川市で営まれた。家族や友人、同会の同僚やOBらが参列。アフガンの農業復興にかけた青年の早すぎる死を悼み、最後の別れを告げた。(asahi.com 2008.09.01)

 この事件に接して、様々なことが思い浮かぶが、真っ先に浮かんだのはイラクにおける奥参事官襲撃事件である。
 イラク北部で29日、四輪駆動車で移動中の奥克彦・在英大使館参事官(45)、井ノ上正盛・在イラク大使館3等書記官(30)、イラク人運転手が襲撃され、殺害された。3月のイラク戦争開始以降、日本人に死者が出たのは初めて。福田官房長官は「テロの可能性が強い」との見方を示した。小泉首相は、自衛隊や文民のイラク派遣を目指す方針に変わりがないことを強調した。(asahi.com 2003.11.29)

 外交官とNGOとでは立場が異なるが、しかし共に紛争混乱の地において、自らの信じるところにしたがって行動し、異境に倒れたという点では同様である。
奥参事官は外交官としての使命と責任を大切にして活動するなかで凶弾に倒れたのであり、伊藤氏もまたNGOとしての使命と責任を全うすべく全力で活動した挙げ句、異境の土となったのである。

 細かいことを挙げれば様々な指摘ができよう、なかにはNGOなるがゆえに「自己責任論」まで持ち出す輩もいるだろう。でも茫猿は感じるし知らされるのである、NGOだから、ボランテイアだからこそ、より一層の責任を自覚して活動しようとされた彼の気概を感じるのである。
伊藤和也氏のご冥福をお祈りし、彼のような日本人がいることを、とても誇らしく思います。


 今朝の朝刊を開いて驚いた。というか、「あれあれ、またかよ」と思わされた。日本という国の政治というものの、いいえ大人というものの在り様が、ここまで地に落ちてしまったのかと、情けなさを通り越して慨嘆するのみである。
一国の総理という、国家組織の最高責任者が、行政府の長であり、自衛隊の最高指揮官であり、最大政党のリーダーが、その責任をかくも軽々と投げ出すとは、しかも二代続けて投げ出している。

 安倍前総理が岸元総理の孫であり、福田総理が福田赳夫元総理の子息であることが背景にあるのであろうか。 遠因はこれも二代目三代目である小泉元総理が衆議院選で大勝しておきながら、次の参議院選での苦戦を予想したかしなかったのか、大勝を置き土産に安倍氏に禅譲したことにあるのであろう。 その後は民意を問うことなく (解散を引き延ばして)、今日に至ったわけである。憲政の常道は、三代続けて自民党内で政権たらい回しをすることではなく、選挙管理内閣を民主党に譲り、民主党の手で解散総選挙を行うことである。 マスコミは後継自民党総裁が麻生か小池かなど喧しいが、総理総裁が辞任すると云うことは、自民党が下野して民主党に暫定政権を渡すべきであると云う主張が見られないことをとても哀しく思う。

 何よりも我ながら哀しいのは、「福田総理辞任表明」という新聞の大見出しを見ても、少し驚くものの、やはりなと受け流す自分が哀しいのである。一国の総理の突然の辞任表明も些かの驚きをもって迎えられるものの、やはりな、そうだろうなと流されてゆく風潮がとても哀しいのである。

 アフガニスタンの荒野に「人としての使命感に燃えて一身を捧げる若者」があれば、東京霞ヶ関の巷に「自らの使命の何処に有りやも知らず、ただ流される老人」がいる。そして、その老人を自らの狐狸孤略に使い捨てする政治屋群がいる。それら政治屋群に群がりたかるのが我々などだとすれば、すべからくもって瞑すべしなのだろう。

by bouen | 2008-09-02 15:18 | 茫猿の吠える日々


<< 塾・鄙からの発信Ⅶ この秋一番 >>